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山岡鉄舟の随筆と講話記録
について
(2006年6月)
山岡鉄舟の功績を称えた
「正宗鍛刀記」の考証
(2007年3月)
山岡鉄舟が書いた江戸無血
開城の始末書
(2007年5月)
牛山栄治が編纂した山岡鉄舟
の伝記について
(2007年7月)
『剣客 山岡鉄舟評伝』
(2012年、単行本)
著者について
山岡鉄舟関係 その他の
学術著作
山岡鉄舟関係学術著作集
山岡鉄舟
(1836-1888)は、幕末期の幕臣・剣術家、明治初期の侍従・書家として知られている。鉄舟は号で、本名は、鉄太郎。飛騨郡代
小野朝右衛門高福
(
おのちょうえもんたかとみ
)
の四男に生まれ、幕末の有名な槍術家山岡静山の家に婿養子として入り、山岡家を継いだ。講武所の剣術師範役並、幕府が徴募した浪士組の取締役を経て、徳川慶喜の護衛にあたった精鋭隊歩兵頭格となった。1868年(慶応4)3月に東征軍の東下に際して、徳川慶喜の命により駿府で西郷隆盛と会見し、勝海舟などと協力して、江戸無血開城を実現させた。江戸無血開城の直後、大目付となり、静岡県ほかで参事・県令を務め、1872年(明治5)に天皇側近となり、1882年(明治15)に宮内少輔を辞任した。剣術の流派
一刀正伝無刀流
(
いっとうしょうでんむとうりゅう
)
を創始して春風館道場を開き、そこで後に日本の政治界、経済界などで活躍する多数の門弟を育てた。明治時代には、江戸無血開城での功績、天皇の側近などでその名声が鳴り響き、「幕末の三舟」の一人として数えられている(他の二舟は高橋泥舟と勝海舟である)。
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